送り火

先ほどパートナーが御経を読んで送り火をしてくれた。
今日は京都の五山送り火の日でもあるので、自宅の室内で20:00過ぎにお香を焚いて燭を灯した。
相方が住職というのは本当に有難い。

御経が終わるまで私は亡き母を偲んでずっと涙が止まらなかったのだが、パートナーが「誰かに肩に手を置かれた感じがしました。」と教えてくれた。
昨日から色々と不思議な事が起こっていて、それがどうあれ亡き母を感じる事ができたのは確かである。思い込みかもしれないし気のせいかもしれないがそれでもいいのだ。
本当の「死」とはひょっとしたら「人から忘れ去られる事」なのではないだろうか。
母はいつも私の心の中に居る。
だから姿が見えない、声が聞こえないというだけで、、、それでも生きているのと何ら変わりない。

気分が落ち着いたので、高島屋で購入した「仙太郎」の「送り火」を煎茶とほうじ茶で戴いた。

来月のお彼岸は間違いなく「赤福」もお供えしなきゃ。