生死とカルマ

昨日は久々の丸々1日休日だった為、パートナーと私の実家の墓参りに行った。パートナーはこれが本職なので、掃除は勿論、お供え物や花選びに余念がない。そういう意味では本当に有難い。
パートナーは禅宗住職なのだが、初めて一緒に食事をした時にマクドナルドに入ったのだが、普通にダブルチーズバーガーを頼んでいたのでびっくりした。(マックで何かオーダーするならサラダとフライドポテトとアップルパイくらいしかないと思っていたから)
私と彼は元々長い間タロットを学ぶ仲間&同士という間柄だったのだが、グループで食事会という事になった時に気の利く幹事の女子が住職である彼に気を遣って会場をサラダバーのあるローフードレストランを選んでくれたりしたのだが、やはり住職=菜食=生臭は口にしない、と言うのが一般的なイメージだろう。占い師も世間一般のイメージと現実はかけ離れた業界であると思うが、医療業界、神社仏閣業界もそれに近いものがある。
名古屋に引っ越してから10キロ減量に成功した理由としては主食を菜食+玄米に切り替えた事が一番の理由なのだが、医療現場での過酷な労働に耐え抜けているのも規則正しい生活をし、きちんとお墓参り等、先祖供養が出来ているからではないだろうかと思う今日この頃である。
私のお客様や付き合いの長い人達の多くは不思議と占星術で言うなら8ハウス(生死を司るハウス)に太陽か木星が入っているという人ばかりなのが興味深い。

昔は自分の占いに西洋と東洋をミックスするのが凄く嫌だった。
これは宗教観が全く違うからというところから来ている。私はかつてアメリカとブラジルを長い間行き来して分かった事、それは「神に祈る」という言葉の違いは「神」の概念が西洋は「主」なのに対し、私達多くの日本人は「亡くなった自分の先祖」だと思うのだ。かくいう私もいつも祈る時は、、亡き母に、である。嬉しい時も悲しい時も。

西洋には先祖供養という概念はないからだ。特にタロットカードをリーディングする時に「ご先祖様が、、」というのも胡散臭いと思っていた。
タロットカードは元来西洋から来たもので特にライダー=ウエイト版の原点はキリスト教の教えだと思うので。
しかし私達日本人にとって先祖とは
切っても切れない大切な存在で、今起こっている幸も不幸も、人の縁も、自分のご先祖や前世と切り離して考える人は少ないのではないだろうか。

私の母は亡くなる数週間前に病床で
「お父さんと結婚して良かった」
と言っていた。元気だった頃はあんなに毎日父の愚痴を言っていたのに。笑
父から「お母さんにこの次生まれ変わったらまた自分と結婚して欲しいって言ったんだけど。。」
父の事だから、、多分次こそは何があっても幸せにするから、と言ったのだろう。しかし母は何も答えなかったらしい。
その話を父から聞いた時に、ああこの2人は来世もきっと巡り会ってまた一緒に生きていくんだろうな、と直感で思った。
科学的にそれを現段階では証明できないが、「またカルマをやり直す」という視点でホロスコープを読むならば、、、ある程度説明がつく。

「死」は傷だらけの遺伝情報を断ち切る工夫でDNAにできた傷を次世代が引き継がないようにプロミングされているらしい。

「生死」「カルマ」これが私の今の研究テーマである。